MEMO

 

2017 11 14

画題や、具体的形象の多く、そういうものがアンリアルでしかたがない。
むしろ絵画を構成する物質、西洋の色材である油絵具、キャンバスそれ自体に、歴史の重さや堅牢さを感じる。そこで自分は何もできないのではないかという無力感をかかえる。
しかし自分は自分に操られ絵を描くしかない、という感覚がある。
調子のいい時は無心に、坦々と絵が出来ていく。そう言うリアリティーがある。

 

 

2017 10 6

無対象であると言うこと。
しかし私は一方で、絵画や絵画史、絵画の素材それ自体に触発されている。
そういったものが対象であると同時に、普段の暮らしを生きている。

純粋な無対象ではないのだ。

制作は、コントロールするのではなく、私がそれら様々なものごとにコントロールされながらすすんでいく。
何かに操られているかのように。
選択しているようでいて、選択の余地はないかのようだ。

消極的なこともある。細部を見過ぎてしまうこと。気づくと安定したものを欲していること。作風が一様でないこと。しかし、これらのことは必然なのではないかと思うようになった。

なんでもできるようでいて、なにもできない。何も描き得ないかもしれない。

しかし、何故だかわからないが今日も描かなければいけない。

そのうえで描く。
そういうことなのだと思う。